海とおじいさん
『海』
20歳の時、はじめて一人旅をしました。
スケッチブックと水彩絵の具をかかえて、
小田急で小田原、箱根、熱海と。
当時、私はたくさんの悩みをかかえていました。
高校卒業後入った演劇学校が性に合わず辞めたこと。
新しい土地で友達と呼べる人がいなかったこと。
バイトは忙しく、周りの人は冷たく、
毎日がつまらなかったこと。
父親に電話すれば全てに対し、『無理だと思うよ』。
母親に代われば、宗教の話ばかり。
何もかもうまくいかない。
何かを見つけたくて、一人で電車に乗りました。
箱根で美術館を巡った後、
私は熱海の海を訪れました。
季節は冬。人影は少なく、
静かでした。
海の広さに圧倒されながら、スケッチブックを開き、
水彩絵の具で目の前ある、海を描きはじめました。
しばらくすると、
一人のおじいさんが私に話しかけてきたのです。
「絵を描いているのですか」
おじいさんはおしゃべりでした。
昔は劇作家で演劇に携わっていたこと、
今は物書きでここの海辺は毎日の散歩コースだということ、
などなど、絵を描いている私の隣でずっと話していました。
私も、今の人生がうまくいかないことを
おじいさんに話しました。
特に、演劇の道を選んだけれど、
結局絵を描く道のほうがよかったんじゃないかということ。
おじいさんは、
『好きなことをするのが一番ですよ』
と言ってくれました。
『夕焼け』
あれから色々あって、普通のOLになりましたが、
趣味で今も絵を描いています。
あの日から何年も経ちますが、
おじいさん、
たしかに、好きなことをするのが一番いいです。
海を見ていたら、
そんな昔の出来事を思い出しました。