tsuki's rainbow day

何気ない日常、でも、特別な毎日。

生きることとは

統合失調症が発症したのは22才のとき。

一人暮らししていた部屋で、
アパートの外で誰かが私を噂している、
というのが始まりでした。
いわゆる、幻聴です。

噂声はどんどん大きくなり、人数も次第に増えて、
16人の声が私のすることなすことに
いちいち命令したり、文句をいってきて、
ついにはその16人と会話をするようになりました。
考えていることが声として聞こえ、
文章を書けば全部声になり、
ステレオをかければ16人が歌いだし、
思考が周りの人に伝わっているという感覚になり、
とにかく訳がわからない状態に。
ついには「死んだら楽になれるよ」などと自殺を促され、
いやいや私、生きたいし。と、幻聴と喧嘩していました。

そんな状態で、仕事も生活もできるわけがありません。
会社の人に連れられて精神科を受診しましたが、
薬を飲んでも一向に良くならず、
離れて暮らす両親に迎えにきてもらい、
精神病棟に入院することに。

16人の声がいつでも私を監視して命令をして、
本当に怖かったです。
入院して分かったのは、
自分が『統合失調症』という病気だということ。

私は、病気であることを自覚しました。
同時に、絶対治そうと思いました。
また普通に仕事にいったり、絵を描いたり、
好きなことをしたいと思いました。

両親は毎日会いに来て、
社会復帰したいという私の夢を聞いてくれました。


強い薬の副作用で首が上を向いたままになり、
手足がしびれて普通に食事ができなくなり、
まともに歩けなくなり車椅子でトイレに行きました。
怖い夢もいっぱい見ました。
38度の高熱が出て、
夜中に歩けない足を無理やり動かし、
洗面台まで行き、
タオルに水を濡らして頭にのせて寝たのを覚えています。

その間、おかしなことですが、
病気である幻聴が「がんばれ」って私を応援するように。
16人いた幻聴ですが、日に日に人数が減り、
残り5人、残り3人、そしてついに残り1人に。

首は曲がったまま、目は虚ろなまま、足は歩けないまま、
でも、あとちょっと、あとちょっとでアイツが消える。
あとひとり。あとひとり。

そしてついに、朝、目覚めたら、
全てが消えました。
すごく目覚めの良い朝。
首も戻り、体も普通に動かせるようになり、
病院のホールに出た瞬間、
看護師さんたちが一斉にかけよってきました。
Hさんという優しい看護師さんが、
私の両手を包み込み、
「おめでとうございます」と言ってくれました。


あぁ、治ったんだ。
世界が光で包まれた瞬間でした。


実際には急に全てが治ったわけでもなく、
うっすらと幻聴は残っていたのですが、
その日から幻聴が
はっきり聞こえてくることはなくなったのです。


一番辛かった時期はたった2週間のことで、
あとはのんびりと3ヶ月くらい入院していたのですが、
人は一人で生きているのではなく、
たくさんの人に支えられて生きていると感じました。
信じられなかった両親の愛も、強く感じました。

それまで、ぎすぎすにストレスをためて我慢をして、
そのくせ世界を冷めた目で見ていた私でしたが、
病になって、とんがっていた自分の価値観が変わりました。

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『3月』水彩、パステル


あれから、数年。
未だに強いストレスがかかると、
幻聴が聴こえます。
何故幻聴と分かるかというと、
統合失調症が発症しているよ」というセリフだからです。
教えてくれるんです、わざわざ。
そしたら私も、あわてて薬を飲んで、
幻聴が消えていくのを待ちます。

ごはんを食べて、洗濯をして、
絵を描いたり仕事をしたり、
大好きなお笑い番組を見たりして、
普通に暮らせることがどんなに幸せなことか。

ときどき忘れそうになるけれど、
ふとした瞬間に見る美しい景色や自然の彩りが、
生きることとは、幸せとは何かを
私に教えてくれます。


精神病って暗いイメージがあるかも知れませんが、
むしろ、前より明るくゆるやかに生きている気がします。